解き放たれる

僕には、この人生で一番といって良いほどの大きな心の凝りがあった。

それは[目の悪さ]だ。

視力が悪くなったのは小学生の時。

遠くの世界がやたらとボヤけるようになってきて、眼科に行くと即メガネを強要され、そのときこんな言葉をもらった。

「君はまだまだ体が成長するから25歳位まで視力は落ち続けるよ」

その一言を聞いた瞬間、あぁそうなんだ、目はこれからどんどん悪くなるのか…とその言葉を信じ、僕の世界がなんとも重くなった記憶がある。


眼科に勧められるがままに度の強いメガネをかけ、暫くすると再び視力の低下を感じ、次々と度の強いメガネへと進んでいった。

メガネが凄く嫌だった。

つけていること自体に嫌悪感を感じ、つけている自分が好きになれず、自己嫌悪が芽生え、それが強まれば強まるほど、それに反応するように視力は落ちていった。

底無しに落ち続ける視力に恐怖を感じ、このままどこまでもいけばそのうち失明するんじゃないかと思い始めた。


高校生頃になると、落ち続ける視力をなんとかしようと、自分で考え、ある考えに至った。

それは

医者に言われた通りに、度の強いメガネをつけるから、悪くなるんじゃないか?と。

それから僕はあえて度の弱いメガネをつけ始めた。

遠くを見る必要がある、大事な時以外はずっと。

それから見える世界はぼやけた。

遠くは見えず、それでもこれ以上視力を落とすまいと頑なに弱いメガネをつけ続けた。

それから、これから先の人生、このぼやけた世界で生き続けることを覚悟した。

良く見える世界を諦めてしまった。

その頑固さが、自らの心を締め付け、普段は見えない心の奧深くへと沈んでいった。

見えない世界は本当に狭かった。

生きづらかった。



それでも何年もそんなことを続けていると、見えないことが当たり前となり、その存在すら感じることないほどに、僕の一部となっていた。

意識して心をより繊細に、見続けていたこの一年。


そして、つい先月のこと。

今までつけていた傷だらけのメガネを買い替え、久しぶりに透き通った世界を見た瞬間、やっぱり見える世界を生きたい!と正直な心の声を聞いた。

目の悪い自分を認め、そして見える世界で生きてもいいんだよ、と自分自身を許すことが出来た。

肩のめちゃめちゃ大きな重みがふわりと溶けた。

そして数日後、友達から千葉にある眼鏡屋さんのことを聞いた。

「眼鏡のとよふく」という眼鏡屋さんで、自分にあったメガネを作ってくれるというのだ。

なんでも検査に数時間かかり、値段も一本7万円程、完全予約制で予約もなかなかとれないのだそう。

それを聞いた瞬間、ピン来て、次の日さっそく電話してみた。

30分ほど仕事のことや、普段の生活のことを聞かれ、その1ヶ月後に予約をとることが出来た。


そして、1ヶ月後、雪降る奥会津を出、千葉まで車を走らせていった。

今までしたことのない目の検査をあれこれやり、僕個人の目というものを探っていく。

そして、僕の目の特徴、本来のもつかたちを親身に教えてくれた。

今までつけていたメガネは僕の目に全くあっていなく、つけているだけで人の数倍、常に力んでいたそう。

その力みは繊細過ぎて、普段感じることが出来ず、それでも確実に少しずつ、疲れとなり、目の充血となり、さらには無意識下ではイライラとなっていたそう。

これまでのなにもかも全てがすべて、もの凄い腑に落ちた。


それを今度は僕の目にあったレンズへと合わせていく。何度何度もいろんなレンズを加えては外し、そして出来上がったレンズ。

それは一切力むことなく、自然体そのもので世界を見ることのできる僕だけにあったレンズ。

試しにかけさせてもらい、お店の外の世界を、見た。

それは生きている世界だった。

道を歩くひと、街路樹、車…それら世界のひとつひとつから生き生きとした感動が押し寄せてくる。

これが本来の、真の、世界だったのか…。

今までのメガネと、まさかこれほどまでに違いがあるとは思いもよらなかった。

あまりの感動に、嬉しさに泣きそうになった。

メガネは近くを見る用と、遠くを見る用の2本を買い、合計で14万円程だった。

一見すると高く思えるが、そんなことは一切なく、その14万円というお金は、僕の今までの凝り固まった世界を破り、解放し、人生を救ってくれた。

これから、僕の世界は一変し、更なる輝きへと向かっていく!

この感動は、目が悪くならないと味わえなかったものであり、これを体験するために、ここに至ったのかと、その悪さを受け入れて、それにすら感謝を感じることができた。

本当にありがとうございます✨

みみをすます

奥会津金山町の山のてっぺんにある宿とcafe

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