雪解けと共に
春、厚く積もった雪が溶け、庭先から去年までの片付けられなかった色々なものが顔を出す。
割り損ねた薪に、廃材、ゴミ・・・
後で使うかもしれないと捨てられずにいたもの、
気が乗らず、面倒ごと捉えて後へ後へと伸ばしてしまったもの、
そのようなことは、ひとつづつ積み重なってゆくもの。
僕のそんな心のしこりが、木屑という廃材というゴミという形となり、庭が汚れてゆく。
冬がきて一見、雪に埋もれて隠れるが、その下には確実に存在していたものたちだ。
春という季節は、それらが表に出てくる季節。
心と同じ。
目を逸らし続けてきた心のしこりが、春の開放感に誘発されて浮き出てくる。
庭先を片付け、心も軽やかにしてゆく。
目の前の世界と心は密接に繋がり、心が世界をかたち作り、また世界が心を形成する。
庭先の木屑をどうにか有効に使えないかと考えた。
いつの日にか行った西表島、そこで出会った粗雑で野生的な、そして開放感のある五右衛門風呂が頭をよぎった。
そしてこの太郎布に引っ越してきた時にすぐの頃に、薪風呂に入りたくて中古品店で1万円で購入した直火可能なホーロの風呂桶。
作ろう作ろうと思ってなかなか手をつけずにいた風呂桶。
それをコンクリートブロックの上にのせて炉を作り、木屑を入れて火をつける。
火はゴウゴウと燃え、1時間ほどでいい湯加減になった。
極上の湯。
火を燃やし続けると数時間経っても湯は冷めず、満点の星空の下、暗がりに見える山並み、集落を漂う夜の風、この時間がどこまでも幸せだった。
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