蜜蜂の贈り物

4月も終わる頃、山のあちこちに日本蜜蜂の待ち箱を仕掛けた。

山のどこかにいる蜜蜂の群れが分蜂し、その群れがやって来てくれることを待つその時間。

巣箱に探索蜂が飛んできて、吟味している姿を見て膨らむ期待。

そして巣箱に群れが入ったその瞬間は、毎年毎年曇ることのない新鮮で大きな感動を与えてくれる。


去年、山の中で見つけた、待ち箱を置くのに最高の場所があった。

その場所へ行ってみると、雪で折れた木々でぐちゃぐちゃになってしまっていた。

その倒れた木々を切り、片付け、整備した。

それでも何か気が乗らず、箱を仕掛けずに数日が過ぎ去っていった。

ある日の早朝5時頃、パッと目が覚め、その瞬間「あ、、あの場所に箱を仕掛けに行こう!」と直感が湧き、寝起きのまま車を走らせて藪をかき分けて箱を仕掛けた。

そしてその日のお昼過ぎ、その箱を見に行くと、走る車のガラス越しに、巣箱から元気に出入りする蜂達の姿が微かに見えた。

それは今までの眼鏡では決して見ることのできない景色だった。

そんな景色の中を生きることのできる幸せを噛み締め、箱を見にいくと、無事に蜂の群れが入っていた。

感動の瞬間だった。


今の僕の暮らしは自分で選択して進んできた道。

日々が好きなこと、やりたかったことに囲まれ、だからこそひかりに満ち、幸せなもの。

それでも毎日同じようなことを繰り返してしまっているとそんな幸せも当たり前のものとなり、徐々に曇りを見せ、幸せを感じににくなってしまうもの。

平和ボケしてしまう。

その慣れきった世界を打破し、殻を破る一つの道が、感動を覚えること。

蜜蜂はその小さな体で、僕の魂にそれを運んできてくれる尊い存在。

それでもし、一年中、蜜蜂の分蜂が続くとしたら、その世界にも慣れてしまい、感動は感じられなくなってしまうことだろう。

だからこそ、一年越しに、春先のほんの一時期だけの分蜂に毎年毎年感動を覚えることができる。

四季は僕らの暮らしにどれほどの恩恵を降り注いでくれているのだろうか。

微細なものになればなるほど、それを受け取るのに、初心に帰る大切さが身に沁みる。

そんな春の日々を満喫しています。





みみをすます

奥会津金山町の山のてっぺんにある宿とcafe

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