三年目の稲刈り
3年目の稲刈りが終わりました
今年はあえて機械を使わず、全て手で刈ってみました。
天気にも恵まれた秋空の下、降り立った黄金色に染まる田んぼはどこまでも心地よい。
一株一株手で掴み、刈りとってゆく。
大変だ、まだまだ沢山ある、いつ終わるのか…等という、邪念という邪念が心に生じることなく、終始喜びの中にいることが出来た。
一昨年、去年の稲刈りと比べてそこは全くの別世界。
春から秋にかけての田んぼを通し、本当に沢山の喜びに触れることが出来た。
もし田んぼをやっていなければ、これらの喜びに、今の僕の暮らしのなかにある何を通して触れることができるのだろう、と思うほど。
はざかげが終わり、お日さまに照らされて輝くそのひかりに、不思議といつまでも見て触れていたい。
その純粋な命のひかり。
ちょうど稲刈りの初日のこと。
すぐ近所のお爺ちゃんが亡くなった。
僕が太郎布に引っ越した時には老人ホームにいたので、一度も会ったことのないお爺ちゃんだった。
晴天のなか告別式へと向かう、心は複雑だった。
式場で、お爺ちゃんの前に座ると、悲しみとも違う、涙がぶわっと溢れてきた。
太郎布の地で、田んぼ等をいまこうして出来ていること、幸せに暮らせていること、その土台を作ってくれたことへの感謝が溢れて止まらなかった。
この一週間はなんだか感慨深い日々の連続だった。
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